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東京地方裁判所 昭和48年(ワ)5929号 判決 1976年8月31日

原告 木村千代

右訴訟代理人弁護士 山本隆幸

同 木村利栄

被告 甲野花子

被告 甲野一郎こと 甲野太郎

右両名訴訟代理人弁護士 石川芳雄

同 松本三樹夫

主文

一  被告甲野花子は原告に対し別紙目録記載の指輪を引渡せ。

二  前項の強制執行不能の場合は被告甲野花子は原告に対し一七八八万五〇〇〇円及びこれに対する強制執行不能の日の翌日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

三  被告らは第一項の強制執行不能の場合は各自原告に対し二一一万五〇〇〇円及び強制執行不能の日の翌日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

四  原告のその余の請求を棄却する。

五  訴訟費用中原告と被告甲野花子との間に生じた分は同被告の負担とし、原告と被告甲野太郎との間に生じた分はこれを一〇分し、その九を原告の負担としその一を同被告の負担とする。

六  この判決は原告の勝訴部分に限り仮に執行することができる。

事実

原告訴訟代理人は「被告らは原告に対し各自別紙目録記載の指輪を引渡せ。右強制執行不能の場合には被告らは各自原告に対し二〇〇〇万円及びこれに対する強制執行不能の日の翌日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決及び仮執行の宣言を求め、その請求原因として、

一  被告甲野花子(以下「被告花子」という。)は昭和四二年一月二〇日頃原告から原告所有の別紙目録記載の指輪(以下「本件指輪」という。)を一寸名下に騙取しこれを自己の債務の担保として第三者に質入れしてしまった。そこで、原告は被告花子を詐欺罪の容疑で告訴したが、同年八月三一日これを取下げた。

二  被告花子は原告が告訴した当時他からも同様の容疑で告訴されていたので、原告に対し被害弁償をするから告訴を取下げてほしい旨懇請したので、原告は同被告の言を信じて前記告訴を取下げたのである。その後原告と被告花子及びその夫である被告甲野太郎(以下「被告太郎」という。)は被害弁償について交渉したが、被告花子は、余罪がある関係上本件指輪の被害弁償については売主を原告、買主を被告花子とする本件指輪の売買契約を締結してほしい旨を申入れたので、原告はこれを承諾した。

三(一)  かくて、原告と被告花子は昭和四四年七月四日本件指輪につき「原告を売主、被告花子を買主、代金を三六〇万円とし、うち四二万五〇〇〇円は既に支払われたものとし、残金三一七万五〇〇〇円の支払方法を昭和四四年六月以降昭和四五年三月まで毎月末日限り二万円ずつ、同年四月以降完済まで毎月末日限り四万円ずつの分割払い」とする契約(以下「本件契約」という。)を締結した。

(二)  前同日被告花子の夫である被告太郎は原告に対し本件契約解除により被告花子が負担する本件指輪の返還債務をも含め本件契約に基づき被告太郎が原告に対し負担する債務一切につき連帯保証しその履行の責に任ずることを約した。

四  しかるに、被告らは最終弁済期である昭和五一年六月末日を経過するも本件契約の分割金として合計一〇六万円を支払ったにとどまり残額を支払わない。そこで、原告は同年七月一日被告らに対し本件契約を解除する旨の意思表示をした。

五  本件契約は前記二のとおり売買契約として締結されたのであるから、右解除の結果その原状回復義務又はこれに代る損害賠償義務の履行として、被告花子は主債務者として、被告太郎はその連帯保証人として原告らに対し連帯して本件指輪を返還するか、右返還することができないときはその時価相当額の損害賠償金を支払う義務がある。

六  仮に本件契約が被害弁償に関する和解契約であるとしても、被告らの分割金不払いにより解除された場合には被告らにおいて本件指輪の返還又はそれに代るべき時価相当額の損害賠償金を支払う趣旨のもとに本件契約は締結されたのである。

七  よって、原告は被告花子に対しては契約解除に基づく原状回復請求として、被告太郎に対してはその連帯保証人として、連帯して本件指輪の返還を求めると共に、右返還が不能の場合には被告花子に対しては損害賠償として、被告太郎に対してはその連帯保証人として、連帯して本件指輪の時価相当額のうち二〇〇〇万円の支払いを求める。

と述べ、被告太郎の自白の取消しには異議があると述べ(た。)≪証拠関係省略≫

被告ら訴訟代理人は、「原告の請求をいずれも棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、請求原因に対する認否及び主張として、

一  請求原因一の事実のうち、被告花子が昭和四二年一月二〇日頃原告から原告所有の本件指輪の交付を受けたこと、原告が同被告を詐欺罪の容疑で告訴し同年八月三一日これを取下げたことは認めるが、その余の事実は否認する。同二の事実のうち、被告花子が原告主張のような売買契約締結を申入れ、原告がこれを承諾したことは認め、その余の事実は否認する。同三の(一)の事実は認める。同(二)の事実のうち被告太郎が本件契約解除により本件指輪の返還債務を負うこと及び連帯保証の日時は否認しその余の事実は認める。同四の事実は認める。被告らは本件契約の解除の効力を争わない。同五の事実は否認する。同六の事実のうち被告太郎が本件指輪の返還義務又はそれに代るべき損害賠償義務を負うことは否認しその余の事実は認める。同七は争う。なお、被告太郎は本件契約が解除された場合に被告花子が負担する本件指輪の返還債務についても連帯保証する旨自白したが、右自白は真実に反し錯誤に基づくものであるから、これを取消す。

二  本件契約の本質は売買契約の形式を借りた和解契約である。被告花子は原告から本件指輪の売却を依頼されこれを林戸栄子方に預けておいたところ、田中益太郎が林戸に対する貸金の担保として持去ってしまったので、原告に対し本件指輪を返還することが困難になった。そこで、被告花子は原告と交渉した結果昭和四四年七月四日原告に対し本件指輪の返還債務不履行による損害賠償として本件指輪の時価に相当する三六〇万円を支払うことを約すると共にその支払は請求原因三記載のような分割の方法によることを合意した。そして、被告太郎は本件契約が締結された後被告花子の負担する右分割弁済の方法による損害賠償債務のみを連帯保証したに過ぎないのであり、原告の本件契約解除により右分割弁済の債務は遡及的に消滅したことになるから、結局原告に対してはなんらの債務をも負担していないのである。

と述べ(た。)≪証拠関係省略≫

理由

一  原告と被告花子との間において請求原因三記載の本件契約が締結されたことは当事者間に争いがなく、また、本件契約が解除された場合被告花子が原告に対し本件指輪の返還債務及び右債務の履行不能の場合における時価相当額につき損害賠償債務を負うことは同被告において認めるところである。この事実と≪証拠省略≫によれば、次の事実を認めることができ(る。)≪証拠判断省略≫

(一)  原告はかつて三六〇万円で本件指輪を買入れこれを所持していたが、昭和四二年一月二〇日頃これを高価に売却するため被告花子のすすめにより同被告に預けたところ、同被告は同月末頃田中益太郎に対し本件指輪を自己の所有物であると称して自己の田中に対する三〇〇万円の債務の担保のため買戻の特約付きで売渡した。しかし、被告花子は弁済期である同年三月末を経過するも右債務の履行ができなかったので、買戻権を失い、その後も弁済の目途が立たず、結局本件指輪を田中から返還を受けることが困難な状態となっていた。

(二)  原告はこの事実を知り関係者を告訴することが本件指輪の返還を得るための方策と考え、昭和四二年六月一九日被告花子、田中らを詐欺罪の容疑で告訴したものの、予想に反しその返還を受け得る見透しは立たなかった。かえって、当時被告花子は同種又は類似手口で宝石絵画等を他から入手したりしていたため刑事訴追され、また、被害者から弁償を求められていた関係上資力も十分でなく、原告と被告花子との間の弁償に関する交渉もさして進展せず、被告花子は本件契約締結直前まで四二万五〇〇〇円を分割の上支払ったに過ぎなかった。

(三)  このように、原告は、本件指輪を入手する差当っての目途も立たず、また、被告花子との間でも本件指輪の返還債務不履行による損害賠償についても未解決の状態であったので、被告花子の代理人である弁護士若菜允子と交渉した結果、同弁護士との間で、(1)原告が本件指輪を購入した当時の価格が三六〇万円であったことから、その額をもって被告花子の損害賠償額とすること、(2)その支払方法については前記のような同被告の資産状態を考慮して長期の分割払いによること、(3)同被告の体面上詐欺による損害賠償とか弁償という表現をさける意味で原告が同被告に本件指輪を三六〇万円で売却し同被告がすでに弁償した四二万五〇〇〇円を控除した残額三一七万五〇〇〇円を分割して支払うという形式をとること、(4)もし、同被告において約定どおり右分割金を完済しない場合には原告は本件契約を解除し同被告に対し本件指輪の返還又は返還不能の場合には時価相当額の損害賠償を請求することができることとする旨の合意をし、かくて、原告と同被告の間で右合意を内容とする本件契約が締結された。しかし、これを書面化した甲第四号証には、被告花子が原告に対し本件指輪の売買代金三六〇万円の支払義務があることを認め残額三一七万五〇〇〇円につき請求原因三の(一)記載の方法により分割弁済する旨しか記載されなかった。

二  被告太郎は当初同被告が本件契約に基づく被告花子の分割債務及び解除の場合に被告花子が負担すべき本件指輪の返還債務につき連帯保証した旨自白したが、その後後者の連帯保証についての自白は真実に反し錯誤に基づくとの理由でこれを取消した。そこで、この点について判断する。

前記のとおり、本件契約を書面化した前掲甲第四号証は単に被告花子の原告に対する本件指輪の売買残代金債務三一七万五〇〇〇円の分割支払債務しか表示していないが、前記一に認定したところによれば、本件契約の実体は被告花子の原告に対する本件指輪の返還債務不履行による損害賠償債務の分割弁済を内容とする一種の示談(和解)契約であるというべきである。そして、≪証拠省略≫によれば、被告太郎は原告及びその夫から被告花子の夫として本件指輪につき弁償することを要求され、また、本件契約が締結された後自己の勤務先に訪ねてきた原告から被告花子の連帯保証人として弁償する趣旨のもとに甲第四号証に署名を求められたので、自己の通称である「甲野一郎」と署名したことが認められる。

一般に特定物の返還債務を負う者がその特定物を紛失したとかそれが第三者の手中にある等の事情により右債務の履行をすることが困難な場合に債権者との間で締結される示談契約は、専ら金銭による損害賠償に主眼がおかれるのであって、殊に債務者の資力を考慮しその物の価格に比しかなり低い額を賠償額とし、かつその支払を長期にわたる分割の方法とすることの合意が成立すれば、特段の約定が存しない以上債権者は債務者に対しその物の返還債務及び合意にかかる金額を超える損害額については免除したものと解するのが相当である。いわば、このような示談契約は物の返還債務及び物に代る損害賠償債務の一部の免除契約と損害賠償債務の残額についての分割弁済契約が締結されたものということができるのである。そして、免除契約は締結によりそれ自体で完結し履行という観念を残さないから、分割弁済契約の不履行があっても免除契約の不履行があるということはいえないのであって、分割弁済契約が不履行を理由に解除されたからといって、当然には免除契約も解除されそれに伴ない物の返還債務及びこれに代る損害賠償債務が復活するものということはできない。もっとも、この場合当事者間において債務者が分割弁済契約不履行の場合債権者が解除権を行使すれば免除契約も解除され物の返還債務又はこれに代るべき損害賠償債務全額が復活するという趣旨の約定解除権留保の特約をなすことは可能である。しかし、このような特約付示談契約につき利害関係を有するに至った第三者に対しては悪意の場合を除き右特約の存在により不利益を蒙らしめるべきではない。

ところで、本件の場合本件指輪は前記一の(一)に認定したとおり第三者に質入れされ被告花子がこれを取戻して原告に返還することは困難な事情にあったにもかかわらず前記一の(三)の(4)認定のとおり右にのべたような債務の復活を認める趣旨の約定解除権留保の特約が付せられていたのであるが、右特約は前記のとおり本件特約を書面化した甲第四号証にはなんら表示されておらず、また、原告が被告太郎に対し右甲第四号証に署名を求めた際に右特約の存在を告げた事実も認められない。被告らが夫婦であるという理由だけから当然に被告太郎がこの特約を知っていたものと推認することも早計である。むしろ、≪証拠省略≫によれば、同被告は連帯保証に際し極めて不承不承であったことが認められるから、同被告が本件契約により支払うべき金額三一七万五〇〇〇円と特約により復活すべき損害賠償としての本件指輪の時価相当額(≪証拠省略≫によれば、本件契約の締結された昭和四四年七月四日当時の時価が一〇一四万円で以後価格が上昇傾向にあることが認められる)の差が大きいことを予め知らされたら連帯保証に応じなかったであろうことは容易に推測できるところである。

以上述べたところによれば、被告太郎は特約による本件契約解除により被告花子が負担する債務についてまで連帯保証をしなかったものと認めるのが相当である。従って、この点に関し被告太郎のなした自白は真実に反するから錯誤に出たものと推定され、その効力を生じないものというべきである。

三  されば、被告太郎は本件契約により被告花子が負担する分割金債務のみを連帯保証したにとどまるのであるが、右分割金債務の性質は本件指輪の返還債務不履行による損害賠償債務であることは既に述べたとおりである。そして、本件契約が解除になったとしても、被告花子が本件指輪返還不能の場合に負担する債務もやはり右返還債務不履行による損害賠償債務であることには変りはない。そうであれば、たとい本件契約が解除されたとしても、被告花子が右損害賠償債務を負う場合には、被告太郎は本件契約の連帯債務者として本来負担すべき額の限度で、なお、被告花子と連帯して損害賠償金の支払いの責に任ずるものと解するのが相当である。蓋し、そう考えないでもし解除により契約関係が遡及的に消滅するとみれば、同被告太郎は債務を履行しなかったばっかりにかえって債務を免れるという結果を招くことになり極めて不合理であるからである。

四  ≪証拠省略≫によれば、被告花子が原告から本件指輪の交付を受けた昭和四二年一月二〇日当時の時価が八八三万円で、以後その価格は上昇を続け昭和四九年七月四日当時の時価は二二七二万円であることが認められるから、特段の反証がない以上前同日以後将来にわたり本件指輪は少くとも二二七二万円の価格を保持するものと推定できる。

五  本件契約が有効に解除されたことは被告らの争わないところである。そこで、被告花子は原告に対し右解除の結果本件指輪を返還する義務を負い、もし同被告に対する強制執行によっても返還することが不能な場合はその時価相当額を損害賠償金として支払う義務がある。しかして、本件指輪が今後とも二二七二万円の価格を維持するものと推定すべきことはすでに述べたとおりであるから、被告花子の負担すべき損害賠償額は右金額を下らないというべきである。また、本件契約により被告太郎の負担すべき分割金債務の合計は二一一万五〇〇〇円(本件契約により支払うべき総額三一七万五〇〇〇円から本件契約による支払済みの金額として争いのない一〇六万円を控除した額)であるから、被告らは右の限度で連帯して支払責任を負うことになる。

六  よって、原告の本訴請求中、被告花子に対し本件指輪の引渡を求め、その強制執行不能の場合に被告らに対し連帯して二一一万五〇〇〇円及び被告花子に対し一七八八万五〇〇〇円(原告が損害賠償として請求する二〇〇〇万円から右連帯負担分二一一万五〇〇〇円を控除した額)並びにこれらに対する強制執行不能の日の翌日からいずれも完済に至るまで年五分の割合による民法所定の遅延損害金の支払いを求める部分は正当であるからこれを認容し、その余は失当であるから棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 松野嘉貞)

<以下省略>

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